「いつまでも元気でいてほしい」——そう願う飼い主にとって、ペットの健康寿命は、単なる寿命とは違った意味を持つ。
健康寿命とは、「病気や障害なく、自立した生活ができる期間」のこと。
人間と同様に、ペットにとってもこの健康寿命をいかに延ばすかが、近年の大きな関心事になっている。
かつては「長生き」するだけでも特別だった犬や猫が、今や20歳近くまで生きる時代。
その一方で、慢性疾患や介護の課題、最期の迎え方といった“長生きの影”も見え隠れする。
そうした現実を前に、動物病院の役割は今、静かに、しかし確実に広がりつつある。
診察室の中だけではなく、診察室の“外”にもケアの場を広げる動きが始まっている。
本記事では、動物医療に長年携わってきた筆者・佐伯忠志が、ペットの健康寿命を支える動物病院の取り組みと、その可能性を現場の視点から描く。
関連リンク: こんな症状ありませんか? | 水戸動物病院│水戸市の動物病院
ペットの高齢化と向き合う
増えるシニアペットとその現状
かつて「10歳を超えたらご長寿」と言われた時代は終わった。
2023年の統計によると、犬の約54%、猫の約43%が「7歳以上」という“シニア期”に差し掛かっている。
栄養状態の改善や飼育環境の整備、医療技術の進歩がその背景にある。
しかし、高齢化は喜ばしいことばかりではない。
関節疾患、認知症、心臓病など、慢性的な疾患が増える一方で、日々のケアや通院頻度も増加。
飼い主にとっても、時間的・経済的・精神的な負担が重くのしかかる。
動物の高齢化は、単に医療の問題だけではなく、飼い主の生活や社会の支え方そのものにも直結する課題だ。
飼い主の悩み:介護、通院、最期の選択
あるシニア犬の飼い主は、こう話す。
「歩くのもつらそうで、でも車に乗せるのも一苦労。どうしても通院が後回しになるんです」。
通院が困難になれば、病気の発見も治療も遅れる。
日々の介護に追われる中で、飼い主が孤立するケースもある。
さらに、「延命治療をするか、自然に任せるか」という最期の選択は、多くの飼い主にとって心の負担となる。
命と向き合うそのとき、動物病院が寄り添える存在であるかどうかが、大きな意味を持つ。
現場の声:動物病院が見てきた10年の変化
札幌市内のある動物病院では、10年前に比べて高齢ペットの来院が2倍近くに増えたという。
「昔は10歳を超える子は少なかったけれど、今は15歳、17歳でも元気な子が珍しくない」と、院長は語る。
その一方で、「介護疲れで飼い主が心身ともに疲弊しているケースも目立ってきた」とも。
また、ペットの介護や看取りを専門に扱う部署を設ける病院も増えている。
医療の技術だけでなく、“寄り添う力”が今、動物病院に問われているのだ。
健康寿命をのばすための具体的な取り組み
定期検診と早期発見の重要性
健康寿命を延ばすうえで、もっとも基本でありながら効果的なのが「定期検診」だ。
動物は痛みや違和感を表に出しにくいため、飼い主が気づいたときにはすでに症状が進行していることも多い。
だからこそ、半年〜1年に1度の健康診断が、大きな病気の芽を摘む“保険”になる。
ある予防医療に特化した動物病院では、血液検査や超音波検査をパッケージ化し、費用を抑えた定期診断プランを導入。
「病気になってから来るより、元気なうちに会いましょう」というメッセージが掲げられている。
その言葉には、「病気を治す」医療から「病気にさせない」医療への意識の変化がにじむ。
栄養管理と生活環境アドバイスの工夫
シニア期に入ったペットにとって、日々の食事と生活環境は、医療と同じくらい大切な“薬”となる。
たとえば、腎臓病のリスクがある猫にはリンを抑えた療法食を。
関節に不安のある犬には、グルコサミンやオメガ3脂肪酸を含むサプリメントの活用も有効だ。
また、段差をなくすスロープや、滑りにくい床材の提案など、家庭内の環境改善も重要なポイント。
最近では、ペットの動きや食欲をモニターするスマートデバイスも登場し、動物病院と連携して日常の変化を共有する仕組みも生まれている。
「暮らしに寄り添う医療」こそが、健康寿命を支える土台になる。
リハビリや運動療法の導入事例
かつては「動物にリハビリ?」と驚かれることもあったが、いまやその考え方は常識となりつつある。
手術後のリカバリーだけでなく、加齢による筋力低下や関節可動域の減少に対しても、理学療法的アプローチが効果を発揮している。
たとえば、北海道では水中トレッドミルを導入した動物病院が注目を集めており、歩行機能の改善や痛みの軽減を目的に、多くの飼い主が利用している。
他にも、ストレッチ指導やバランスボールを用いたトレーニングなど、自宅で取り組める運動療法の提案も増えている。
「もう年だから」とあきらめる前に、“できること”がまだある。
病気にならないための「予防医療」という発想
予防医療の広がりは、ペット医療の風景を大きく変えようとしている。
かつてはフィラリアやノミ・マダニ対策が中心だった予防の概念が、今では体重管理、歯科ケア、ワクチン接種、さらには精神的ストレスケアにまで広がっている。
予防医療を専門とする病院では、問診票や飼い主とのカウンセリングを通じて、その子の「生活のリスク」を洗い出す。
そこから、一頭ごとのライフスタイルに合わせた“予防プラン”を組み立てるという。
このようなアプローチによって、「医療の入り口」が広がり、病気にならずに済む子が確実に増えている。
「病気を見つける」から「病気にしない」へ——それが、これからの動物病院のスタンダードだ。
飼い主との信頼関係が支えるケア
「診察室の外」の会話が生む理解と安心
ある動物病院の獣医師は言う。
「診察時間よりも、待合室での雑談のほうが信頼関係を築けるんですよ」。
診察室では聞けなかった生活の様子や、食欲の変化、小さな仕草の違和感——それらはすべて、ペットの健康を守る“ヒント”になる。
飼い主にとっても、病気や治療の話だけでなく、「どうしてこの薬なのか」「普段はどんな風に過ごしているか」など、フラットに話せる時間が安心感を生む。
筆者が取材したある院長は、**「5分の診察よりも、10分の雑談に本質がある」**と語っていた。
診察室の外にある、ささやかな会話の積み重ねが、信頼という見えない医療資源を育んでいる。
生活背景に寄り添う:飼い主支援の新たなかたち
高齢の飼い主、仕事で多忙な共働き家庭、子育てとペット介護を両立する人たち——飼い主の事情も多様化している。
そうした中で、動物病院側が生活背景に配慮した“飼い主支援”を始めている。
たとえば、来院が難しい人のためにオンライン相談を実施したり、介護用品の使い方をレクチャーする勉強会を開いたり。
また、「困ったときに相談できる」こと自体が、飼い主にとっては大きな安心となる。
北海道では、地域の獣医師会が高齢飼い主の生活を支援するパンフレットを配布するなど、ペットと暮らす生活全体を視野に入れた支援が広がり始めている。
看取りとグリーフケア——最期まで寄り添うということ
ペットの最期をどう迎えるか——それは飼い主にとって、人生で何度もない大きな選択だ。
近年では、延命治療を控え、自然な形で見送る「尊厳死」を選ぶケースも増えている。
そのとき、獣医師や看護師がどこまで寄り添えるかが、飼い主の心の支えとなる。
ある動物病院では、看取りの際に飼い主の希望を聞きながら「最後の数時間を一緒に過ごす空間」を用意し、静かな時間を提供している。
また、亡くなった後の「グリーフケア」として、心の整理がつかない飼い主に手紙を書いたり、追悼会を開いたりする例もある。
医療は“命を救うこと”だけが仕事ではない。
その命に最後まで伴走し、飼い主の悲しみに寄り添うこともまた、動物病院の大切な役割である。
地域医療との連携とこれからの展望
多職種連携の可能性:獣医師と人間医療の接点
動物医療と人間医療。
かつては別の領域として語られることが多かった両者が、近年では「共に地域を支える存在」として交差し始めている。
たとえば、ペットと高齢者が共に暮らす世帯では、飼い主の健康状態がペットのQOLにも大きく影響する。
そこで注目されるのが、獣医師とケアマネージャーや訪問看護師など、人間医療・福祉職との連携だ。
ある地域では、要介護認定を受けた高齢者に対し、ケアマネージャーがペットの健康管理についてもアドバイスできるよう、動物病院との情報共有を進めている。
「ペットも家族」という価値観が当たり前になった今、医療は“人間だけのもの”ではなくなってきた。
在宅医療の未来:移動診療や地域包括ケアの試み
通院が困難な飼い主とペットのために、訪問診療や移動動物病院の取り組みが全国各地で進められている。
北海道内でも、車両型の診療所を使って遠隔地の飼い主をサポートする事例が増えており、「病院に行けないから診られない」という壁を取り払う動きが現実のものとなっている。
さらに、地域包括ケアの中に動物医療を組み込む構想も始まっている。
福祉施設や地域包括支援センターと動物病院が協力し、「飼い主が入院する間、ペットを一時預かりする体制」などを整える試みもある。
在宅医療の未来には、**「人とペットがともに暮らし続けられる地域社会」**というビジョンが広がっている。
「病院だけ」にしない地域ぐるみの取り組み
健康寿命の延伸において、動物病院ができることは確かに多い。
だが、それだけでは限界もある。
そのため、地域ぐるみで支える仕組みが求められている。
動物病院だけでなく、行政、ボランティア団体、地域住民——さまざまなプレイヤーが協力し、ペットとその家族の暮らしを見守る。
例えば、地域の公民館で開催される「ペット介護教室」や、「終生飼育」をテーマにした勉強会。
動物病院の獣医師が講師として参加するだけでなく、福祉関係者も同席し、互いの視点を学び合う機会になっている。
医療が地域とつながることで、動物と人の暮らしもまた、よりしなやかに支えられるようになる。
Q&A:よくある疑問に答えます
Q1. 健康診断はどのくらいの頻度で受けるべきですか?
A1. 一般的には年1回が目安ですが、7歳以上のシニア期に入ったペットは年2回の定期検診が推奨されます。体調の変化が早い高齢期だからこそ、こまめなチェックが重要です。
Q2. 自宅でできる健康寿命の延ばし方はありますか?
A2. 適切な食事管理と、日常的な運動(短時間の散歩や遊び)、そしてストレスをためない環境づくりが基本です。気になることがあれば、病院に相談を。
Q3. ペットの最期にどのような選択肢がありますか?
A3. 治療の継続、緩和ケア、自然死の受け入れなど、多様な選択肢があります。飼い主の思いとペットの状態を尊重し、獣医師とじっくり話し合うことが大切です。
まとめ
ペットの健康寿命を延ばすということは、「長く生きること」だけではなく、「よりよく生きること」を支えることにほかならない。
動物病院は、もはや“病気になったときに行く場所”ではない。
生活を見守り、飼い主と共に悩み、時には寄り添って涙を流す——そんな“地域のケア拠点”へと変わり始めている。
ペットの幸せは、飼い主の安心と表裏一体である。
そして、その両方を支えるためには、動物病院だけでなく、社会全体の温かなまなざしが必要だ。
ぬくもりに満ちた社会をつくるために——動物たちと暮らすこの日々が、少しでも豊かになるように。
最終更新日 2025年5月28日 by acueva